土田家住宅は

 17世紀中頃、江戸時代前期延宝年間に亡くなった初代清左衛門(1678年没)が建てた住宅で(1650年頃)、雑木のみで造られた民家です。柱はクリ、横材はブナ、板材はホウで造られており、現在の建築材である杉、松、桧等の針葉樹等は一切使用されていない建物で、座敷廻りの柱は鉋仕上げのほかは、丸みのあるチョウナで仕上げられています。

 

調査・復元修理

 昭和46年秋田県内の民家調査で建築材、構造、工法のあらゆる観点からみて17世紀の建物であることが判明し、昭和48年2月23日、重要文化財に指定されました。その後、昭和59年7月から昭和60年にかけて解体・復原工事が行われた際、勝手入口手前に三間の馬屋中門として突き出てたが、杉、松などの材料が使用されてたことから、近世に増築されたものと確認され、解体、除去されました。(復原修理 昭和60年12月31日竣工)

 玄関前には座敷中門として三間突き出ていた痕跡資料が出てきましたが、材料等の資材不足のため一間だけの座敷中門として、形式保存のため復原しました。建物は南向き建坪67坪、奥行き十間、梁間五間(柱間は、6.5尺~7.0尺)の座敷、茶の間、土間と間取りが大きく三区分の単純形式の古さを示してます。このような住宅の造りは平安時代の寝殿造りや中世時代の武士の館をまねた造りで、主殿造りといってます。

平 面 図

外回り

外回りの建具では鴨居に三本の溝が掘られ、外側に板戸が二枚、内側に障子が一枚ありましたが、近世になってから建物の隅に戸袋が作られました。

中門造り

表門の内側にある門で、当家のは座敷方中門で極めて例がない(両門はある)

土間

土間は復原工事の際に発見され、地炉もその時に確認されたものであり、屋内の生活は囲炉裏を中心にして営まれ、当主の座る場所(横座)をはじめそれぞれの座る場所も定まってました。

台所(大所)

台所は、調理・食事の場所として日常生活では一番大事な所であり、家族一同の安らぎの場であり、団欒の場所でもありました。また、地炉の管理は主婦の大切な役目であり、火の取り扱いや火の用心はもちろんのこと、決して火種を絶やさないことが主婦の最大の心得とされてました。

納戸

内座の付属の部屋で、寝室として使われてました。

土壁

上部(茶の間側)には建築当初の手塗りの土壁があり、解体復原工事の際に文化庁の指示により、現場より引き離して再び取り付けました。

内座

窓の極めて少ない部屋で、当時は寝室で中二階もありましたが、復原により現在の形になりました。奥の方に小さな部屋がありますが納戸で、この部屋も寝室として使われてましたが、その昔には江戸から逃れて来た人を匿った時代もあったといわれてます。

茶の間

茶の間は日常生活の中心的な場であり、祭祀の場でもありました。正月やお盆の宴席の場でもあり、寄り合いや来客の際にも年間を通して最も多く使用される部屋です。また、上座敷で行事等があった場合の控えの間としても使われました。

仏壇・神棚(茶の間)

仏壇および神棚は建築当初の状態に復原され、神仏に対する信仰心から毎日神仏への礼拝を欠かすことのない大切な場所でありました。

下座敷

専ら接客用として使用されてました。柱間は六尺五寸から七尺あり、柱は鉋、チョウナ仕上げを施されてます。横材が細いので柱材の多さで屋根の雪の重みを支えている構造からも、この住宅の古さと建築の発展途上を表してます。また、組み立ても臍(ほぞ)楔(くさび)で一切金具は使用されてません。天井は吹き抜け(簀の子貼り)になってます。

上座敷

下座敷と同じように接客用の部屋であり、冠婚葬祭等の行事などの場として使用されてましたが、建築当初から最高の部屋で天井もあり長押もあり、格式の高い接客の場として使われており、特別な部屋であり畳が敷かれてます。天井板は桂材であり、竿縁が床の間に向いた造りになってますが、主殿造りの要素を取り入れた造りです。

床の間・玄関

床の間と玄関を持つことが武家住宅の象徴でした。江戸時代には武士のほか名主や庄屋などには許されましたが、一般民家に玄関を持つことは許されませんでした。

 

座敷中門

修復前は「供部屋」でしたが、解体調査の結果、座敷中門の存在が確認されました。当初の中門は本屋から三間以上出てましたが、資料・資材不足から形式保存に留めました。

屋根

平成25年9月~12月に全葺き替えをしました。


 

皇太子殿下行啓

平成18年9月14日、皇太子殿下が鳥海山登山をされた帰路、お立ちよりになりご視察されました。

コウヤマキ

土田家住宅裏庭にあります。旧矢島町保存樹の杉科、樹齢250年以上、木曽地方(長野県)より西に自生し、高さは35メートルに達し、樹皮は檜木に似てます。

材は主に桶、船材、橋梁材等に使われ、樹皮はマイハダと称して船、水槽等の隙間塞ぎに用いられます。

 

※秋篠宮悠仁親王のお印(しるし)としても広く国民に知られております。

 

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