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土田家由来
土田家は現当主でニ十五代目にあたり、およそ四百年の歴史があります。信濃の国・佐久地方を本拠地とした旭将軍 木曽義仲(源 義仲)の重臣 四天王の一人根縫井小弥太の末裔が、木曽義仲挙兵から最期の「粟津の合戦」(1184年)で敗れ、一族郎党とともに信州、信濃、奥州へと逃れ、矢島に蟄居しました。
天正年間には豊臣秀吉から朱印状が与えられ、須郷田地区の独立した小領主として処遇されていましたが、後におきた百姓一揆に伴う家臣間の対立により刀を捨て武士から農家に転じ、姓も遠藤から土田姓に変えました。
現在も先祖伝来の田で霊峰鳥海山の水を使い、極上の旨みを追求したササニシキを作っています。
根井家由来書(土田家先祖)
「根井家由来書」は、根井氏の嫡流といわれる長野県の仏導寺(長野市)所蔵のもので、昭和50年頃に発見されたものです。
読みやすいように写した文章です。
土田家住宅下座敷に展示のものは、仏導寺所蔵の写しによるものです。
太閤秀吉の朱印状
写真提供:にかほ市勤労青少年ホーム
根井家由来書では、仁賀保家と親類関係にあったため朱印状は仁賀保家で預かったが、当主が乱心し居宅に火をつけて消失したとありますが、昭和57年に仁賀保氏末裔が保管していたことが判明しました。
太閤の朱印状は、仁賀保兵庫助宛2通、内越宮内少輔宛2通、祢々井五郎右エ門宛1通、発見されております。
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